サラミ論文がもたらす悪影響と、同一の研究として発表することのメリット
1本の論文を複数に分割して出版された論文は、「サラミ論文」と呼ばれています。サラミ論文は、研究者自身だけでなく、読者や学術界にさまざまな悪影響をもたらします。研究成果を分割せず同一の研究として発表することのメリットや、例外的に論文の分割が認められるケースについて解説します。
サラミ論文とは
本来、1本の論文にまとめられるべき研究内容を、あえて複数の短い論文に切り分ける(スライスする)ことを、分割出版やデータの断片化、あるいはサラミ方式と呼びます。このような方式で出版された論文は「サラミ論文」と呼ばれており、非倫理的な行為にあたるため注意が必要です。
サラミ論文の目的は、論文の出版本数を水増しし、研究成果を多く見せることです。意図的ではなくとも、研究によって得られたデータ量が膨大だった場合に、研究者が悪意なく論文を分割しようとするケースもあります。論文の結果は異なるけれども、研究の方法、対象となった被験者、そして得られたデータが共通しているので、サラミ論文とみなされます。
サラミ論文がもたらす影響
サラミ論文は、研究者自身にも読者や学術界全体にとっても、さまざまな悪影響をもたらします。
例えば、悪意があったわけではなかったとしても、研究成果の水増しを疑われてしまい、研究者に不利益をもたらすおそれがあります。その研究者の論文の被引用数を不正に増大させてしまうことにもつながり、正当な評価は得られなくなるでしょう。
また、同一のデータを使ったり、同じ仮説に基づく研究を文章化したりすることで、同じ文章が重複してしまい、自己盗用や自己剽窃になってしまうリスクもあります。そもそもサラミ論文は研究倫理に違反する行為であり、研究者自身の信頼性を著しく損ねることになるのです。
研究成果を目にする読者にとっても、同一の研究を通して得られた結果を一つの論文として読むことができないので、研究を評価するために必要な情報を得られないということになります。同一の研究データに基づいて書かれたサラミ論文を読んだ読者が、異なる被験者から同様のデータが得られたと誤解し、文献を曲解するおそれもあります。科学的データベースおよびメタアナリシスの結果をゆがめることにつながるのです。
さらに、複数のサラミ論文をそれぞれ異なる研究内容だと思って読み込むことで、読者の時間を無駄にしてしまうともいえます。同様に、本来は一本の論文として査読や編集を進められたはずなのに、複数のサラミ論文を別々に査読したり編集したりすることで、査読者や編集者にとっても時間的損失を与えます。
論文を“スライス”せず同一の研究として発表することのメリット
同一の方法によって行われた研究を通して複数の研究成果が得られた場合、基本的には1本の論文としてまとめて発表するべきです。論文をスライス(分割)して小さな研究成果として発表するよりも、すべての結果を1本の論文としてまとめて発表したほうが、その研究分野における重要性が高まります。質の高い論文であることは、インパクトファクターがより高いジャーナルに採用される確率を高め、文献の引用率を高めることにもつながります。
サラミ論文で研究成果を水増しするよりも、結果的に研究者のキャリア構築に効果的であるといえます。研究者の評価や業績は、論文の「数」ではなくあくまで論文の「質」によって評価されるからです。
例外として論文の分割が認められるケース
ひとつの研究プロジェクトを通して得られた研究成果を、あえて分割して複数の論文として発表することが認められるケースもあります。
例えば、同一のデータであっても、異なる視点から生まれた複数の研究仮説に基づき、複数の結果が得られた場合は、それぞれを個別の論文として報告することができます。また、最初に書いた論文では検討されていなかった二次的所見がある場合にも、分割して論文にまとめることがあります。
いずれの場合も、同一の研究成果を分割して論文を執筆した旨を開示すること、そしてジャーナルへの投稿にあたっては、当該研究に関連するすべての研究論文を添えることが大切です。
学術界および読者にとっての利益を考える
サラミ論文にあたるか否かは、学術界における利益、そして読者にとっての利益が優先されるかどうかで判断されます。分割したほうが学術界にとって利益がある、あるいは読者にとって読みやすいという視点で分割された論文は、倫理違反にあたる行為ではなく、正当なものとしてみなされます。一方、研究者自身の成果の水増しや執筆負荷の軽減を目的として論文を分割する場合は、正当な分割とはいえず、サラミ論文とみなされますので注意しましょう。