投稿者も閲覧者も知っておくべき、プレプリントサーバーの「リスク」
1991年の物理学・数学分野のプレプリントサーバー[arXiv]の運用開始以降、さまざまな分野においてプレプリントサーバーが開設され、利用されてきました。特に2010年代の生命科学、医学分野でのプレプリントサーバー開設により、その活用の裾野は一層の広がりを見せています。また、近年のオープンアクセス、オープンサイエンスという流れの中にあって、研究成果発信や情報共有、評価や研究の発展等の場として、プレプリントサーバーは欠かせないものとして存在感を大きくしています。
その一方で、プレプリントサーバーには知っておくべき「リスク」もあります。
プレプリントサーバーとは
かねてより、研究成果発表のスタンダートとして認識され、その地位が確立されてきたのは学術ジャーナルですが、近年では紙媒体だけでなく、オープンアクセスジャーナルという新しい形へと変化してきています。学術ジャーナルでは、出版されるまでのプロセスとして「査読」と、それよる「改善対応」は避けて通れないため、投稿から実際の掲載・出版までに長い時間がかかります。
しかしプレプリントサーバーの場合、「査読」というプロセスを経ないため、投稿から発表までの時間がかなり短縮され、速報的に発表することができます。たとえば、現在の新型コロナウイルス感染症のパンデミックというような状況下において、世界中の研究者はさまざまな分野や観点から研究を進めています。研究内容や経過、成果を即時的に発表し、それを世界中で共有してさらに発展させていくことは、とても意義のあることです。2019年運用開始の医学系プレプリントサーバー[medRxiv]では、2020年1月からの約5か月間で、新型コロナウイルス感染症に関連する投稿が3,000件近くあったようです。
「確定的ではない情報」も世界中へ流通する
プレプリントサーバーは、意義深く正しい研究成果発表の場であるということであると同時に、「必ずしもそうではないものも発表される場である」ということも事実です。また、そうした情報であっても瞬く間に世界中の研究者の目に触れることになります。場合によっては別の研究者に「引用」されることもありますし、デジタルが浸透している一般社会の中でSNSなどを通じて「あたかも正しい情報であるかのように流通してしまう」というリスクも孕んでいます。特に指摘されているのは、プレプリントが危うい情報ソースや媒体として世界中に広まってしまうということです。一般社会では、研究者や科学者が発表することは正しいと思われる可能性が高いため、「●●の研究者がこんなことを言っていた」と、都合の良いところだけを抜き出されて広まってしまう可能性があります。
しかし、実際は仮説であったり誤った情報が含まれていたりすることも多く、それらを検証していくことで研究は発展していきます。また、研究者コミュニティの中では普通に通じていることも、他の研究分野や一般社会、メディアなどコミュニティの外側では、そのルール通りにはいかないことも多々あります。特に人々の関心が高い、コロナウイルス感染症研究関連を掲載するプレプリントサーバーでは、注意書きがトップページに付けられています。科学的知見としての正確さや有用性について、まだ確定的ではない情報や誤った情報の拡散をどう防いでいくのか、これはプレプリントサーバーに共通する大きな課題です。
投稿の撤回は?
速報性の高い研究成果発表の場であるプレプリントサーバーへは、研究発表のスピード感にとらわれ、不正確な報告内容が公開されることもあります。こうしたケースでは、投稿が取り下げられることがあります。
プレプリントサーバーでは投稿内容に対して、世界中の読者からのフィードバックを得ることができます。これをもとに投稿内容を改訂したり研究を発展させたり、それらを迅速に進めることができるという優れた仕組を持っています。実際に、投稿を目にした他の研究者の批判や疑問から、投稿者がコメントを残し、取り下げに至ったケースもあります。
しかし、仮に取り下げる申請を行ったとしても、タイトルや著者名などのメタデータは残ります。取り下げそのものは48時間以内実行されることがほとんどのようですが、中には新型コロナウイルス感染症関連の事例のように取り下げられるまでのわずかな時間にSNSで拡散してしまうこともあります。検索エンジンなどに一旦コピーされた内容は一般に閲覧可能な状態になり続ける可能性があるので、撤回には最大限の注意が必要で、そのためにはやはり論文内容や投稿にあたっての倫理要件に最大の注意を払う必要があるでしょう。
プレプリントサーバーの持続性と投稿の制限
プレプリントサーバーでは、DOI(Degital Object Identifier)が付与されることで永続的な記録となります。あるいはDOIに準じるプレプリントサーバー独自のIDが振られることもあります。これによって投稿されたプレプリントが引用可能になり、他の研究者による論文の参考文献となり得るわけです。
プレプリントサーバーが安定して運営され続けるためには、DOI、または独自のIDが永久に保証されることが必須条件です。また、運営基盤という観点では、財政面での安定も不可欠となりますが、中には経営困難に陥っているプレプリントサーバーもあります。近年では、大手出版社が運営しているプレプリントサーバーも登場しています。経営的には安定が見込めますが、その自律性と透明性が保たれるかという点においては疑問符が残るという意見もあるようです。
また、オープンアクセスの波の中で、ジャーナル出版社も当初は反対としていたプレプリントに対しての考え方を変化させてきており、最近では容認や推奨している出版社も少なくありません。これによって以前はプレプリントサーバーに先行公開したものを、査読付きジャーナルに投稿する際にジャーナル側から投稿を拒否されるということは少なくなりました。
しかし一部のジャーナルでは投稿の制限を維持しているものもあります。プレプリントサーバーに投稿する前には、その後の投稿先となるジャーナルの規定を確認しておくことが重要です。
参考文献
文部科学省 科学技術・学術審議会情報委員会 ジャーナル問題検討部会(第7回)資料1-別添 プレプリントをめぐる近年の動向及び今後の科学技術行政への示唆
RCOS 国立情報学研究所オープンサイエンス基盤研究センター 変わりゆくプレプリントの機能
STAT(:produced by Boston Globe Media)
Quick retraction of a faulty coronavirus paper was a good moment for science
Open Science Flamework Withdrawing a Preprint